みうみのーと

25歳が色んなことを考えるチラシの裏です

能動的な人間として

もはや愚痴のような内容で書いていて投げやりな気分になったのでいつになく散文であることを認めて投稿をする。ここは自由空間なのだから

 

学生時代に頑張ったことはなにか、就職活動をしていた頃にテンプレートのように聞かれていた。当時の私は、自分自身の周りよりかは「意識高い系」の活動をしていた自負はあったので、何よりもテンプレートのように語ることができたのを覚えている。

 

実際問題なんのためにやっていたのかと言われると自身の行動(慈善活動や物書きをするような団体をまとめていた。)が慈善のように思えていたので周りの人間に言ったことはあまりなかった。

友人の「就活のためにしているのか」という言葉に酷く傷つきもしたし、否めない自分もあった。

 

能動的な学生の少なさに時折落胆することがある。

自分が社会の一旦を担うのみで何かを起こそうというイノベーションをしない場合が多いのではないかと懸念することがある。

また、能動的な人間ほど目につき嫌われやすいのも確かである。団体から外れて動くことで叩かれることも多い。ただの意見が抑圧的なものによって抑えられることだって大いにあった。

 

またその上で私は直々にジェンダーバイアスでものを見られることも多いにあった。親からもそういう教育を受けてきた(女の子は裁縫とピアノ。昇進などは必要ない、というような)ので、慣れてはいたが、未だに偏って見られることが多いのかと落胆することもあった。

 

外見で判断される。性で判断される。そういうこともあったのでしばしば口を閉じる場面もあったのも確かだった。

 

でも実際問題、そんなことばかりではなかった。自分が踏み出せば踏み出すほど助けてくれる人が増え、認められるケースも増えてきたと感じる。また、学生だったために多少の無謀なアポイントメントもかなったのだ。いろいろ学んだことは多い。

 

こうしてウェブ上に意見を書いても見られることなんてあまり期待もしていないし、自分自身の覚書がおおいのだけれども、

自分が今後できることはもっと能動的な学生を増やせられることができればいいと思っている。それはすでに能動的な学生がさらに伸びるためのものではなく、どうすればいいかわからないが一歩踏み出したい人たちのアドバイスができればいいと思っている。

 

1から作ることはとても不安なこともおおく弾糾されることもしばしばあるが、新しい道を作り信じてくれる、物事の本質を見る人間は自分自身がストーリーテラーとならずとも後からいてくれることがある。

それはそばで見ている恋人ではなく友人でもない第三者からの評価のこともあるが、自分というバイアスのない中で評価されることは非常にありがたく感動すら覚える。

 

何事にも始まりが重要であり、イノベーションはイミテーションから始まるということばもあるくらいでるから、近しい目標をつくることもいいと思う。模倣から始まることもかまわない。

 

兎にも角にも世の中には埋もれている才能が多すぎる。自分の特性というものを模索しチャレンジすることは自分にしかできない。