偏頭痛
世間は梅雨入りしたのだろうか。
ろくにテレビも見ない毎日が続いているので、自分の偏頭痛の頻度で今梅雨なのかどうか判別している。
この偏頭痛は割と正確なので馬鹿にならない。
とりあえず努力するというスキルを覚えた私は、とにかくがむしゃらに毎日を生きている、と言いたい。
今の生き方が果たして正解なのか、自分のパートナーにとっても正解なのかわからない。
その正解もわからないので泣きながら頑張るという矛盾がおきる。
彼にとっての私は常にキラキラした私でいなければならないということなのか。
誇張された私を切り取られる恐怖心がうごめく。ただ、おまえは頑張っている、そう言われたいがために泣きながらでも前に進む。
私が泣いても彼にとったら梅雨に雨が降るのと同じような感覚なのかもしれない。
晴れ間を祈るのは私だけではないのかもしれない。彼にとったら私は雨の日の偏頭痛のような、そんなものだったらどうしようと、また画面の中に思いをぶつける。
消えてしまいたいのだ。
簡単に梅雨を開けさせられるものならば開けさせたいのだ。努力しても梅雨はやってくる。偏頭痛と戦う。
それでも前に進む。そんな私を見て欲しいと願うのは、甚だ迷惑なのだろうか。