みうみのーと

25歳が色んなことを考えるチラシの裏です

自尊心の海に溺れていく

人間誰しもが認められたいと嘯く。

最近の若いもの、がどこから定義される年齢かはわからないけれど

世の中は程度は様々ではあるが承認欲求に溢れている。

 

その承認欲求の根源とは何だったのか、途端に馬鹿らしいものになる。

自分自身がやるせない人間で仕方なく思えてきたわけで

すべてのSNSを削除することに決めた。

 

ともかく少し前からだんだんと自分が生きやすくなりたいがために

少しずつミュート機能を利用するなどして自分自身を整理してきた。

だんだんと数字にとらわれていた自分が馬鹿らしく思える。

信頼できる人間も、信頼して欲しい人間も、双方が同じ思いならば

必ずいなくなりはしないと私はそう思っている。

というか、今までがそうだったので、批判があれど致し方なく

とりあえず私は人に固執し過ぎていたと感じている。

双方互いに固執せず 理解してくれるであろう人にメッセージを残した

そして身辺を整理するに至った。

 

私だけの世界。好きなものだけをピックアップして

誰のために演じている世界なのか それは観客のためではない

金を払って観劇している人間なんて人生にはいない

好奇心だけの展示物と見栄だけの収集家にはなりたくない。

人の模倣から現れる承認欲求などなんのためのものなのか。

私だけの世界とは私の個性が光る場所。誰にも邪魔も模倣もされたくない。

羨む人間もねたむ人間も模倣する人間も昔はいなかったのだ

それが私を邪魔したのはほんの数年来。それはなぜなのか

承認欲求が海のように流れていく時代で 

溺れまいと必死に自己主張を繰り返した結果

模倣され 妬まれ 私というコンテンツが確立し 消費され 比較され

自分自身を情報社会のコンテンツとして置いてしまい

自分自身もその中で沈むまいと生きてきたから

自分だけの大切なものがだんだんと純粋なものではなくなり

自分自身の発言も行動もだんだんとバカバカしく思えてくる

重々に考えたものが 模倣され 消費され 比較され 妬まれる

自分の意思とは反対に消費されていく

参考にしたいと言われて貸したデザイン案の中身が

そっくりそのままコピーされて作品と為され 賞賛されていたときの苦しみ

教師に言ったとき 私が貸して 見せたのが悪いといわれた

確かに使用していなかったデザイン案だったが とても悲しくやるせないものを感じた

私は誰かのためにコンテンツとなったわけではないのだ

承認欲求の海に揉まれ なにかとその数で私という人生が計られることに

もう十分だと

私は演者ではない 観客などいない

私は展示品ではない 周りの人間は査定官ではない

 

もう一度私自身の宝物を美しく保つために

私は唯一の人間となる 海から離れ 美しいものだけを見て生きていく

 

 余談ではあるが SNSに疲れたら いいねの数につかれたら

一歩引いてこの流行りの本を読むといいと思う。

実質インフルエンサーの彼がSNSに対してどう感じているのか気になっていたので

読了した。読み応えというよりかは、

なにかと勢いのある文体なので少しずつ読むといい。

自分の好きなものだけ収集する人生がどれだけ美しいかわかると思う。

ウチら棺桶まで永遠のランウェイ

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